優しくすることと甘やかすことの違いから考える働く姿勢
仕事をしていても、生活をしていても
誰かに優しくされてるなーって思う時はあると思います。
優しさの裏返しで厳しくする
とよく聞きますが、本人としては目的がわからないので受けている対応を真に受けてしまい、悩んでしまいますよね。
「実は...」と後から知るのがこのパターンです。
逆にただ厳しくしてるだけなのに
優しさの裏返しだと勝手にポジティブに受け取って
乗り越える人もいますね。
今回の題材ですが、とても難しいと筆者は考えています。
その人のためになると思っていることと
本人が求めていることに相違があって
結果、双方の受け止め方が思惑と異なると
諦めにつながったり
調整がとても難しいです。
「甘やかす」はダメなことでも
いいよいいよと修正をせずに放置をして
「ダメ」を継続させてしまうことです。
姿勢の話ですね。
その「ダメ」にもちゃんとした理由が必要ですが
良くない状態で放置するのはある意味「自分でしかどうにか出来ない」ということで
誰も教えてくれない厳しさでもあります。
では、「優しい」とはそう考えると
ちゃんと方向修正をしてあげることなんだと思いました。
そのためには相手に興味を持つことと相手を尊重してあげることが大切で
「なんでダメか?」の部分をしっかりと理解させることによって相手は新しい知識を得たり、見識が広がります。判断が出来る様になるんです。
もちろん、興味を持ってもらう相手の意見を尊重することがあって成り立ちます。
例えば仕事で資料を提出した時やアイデアを出した時に
これはダメだからダメと言われると
ポカーンとしますよね?意味がわからないです。
その時にしっかりと納得させる時間を設けたりする姿勢も「優しい」に当てはまるのだと思います。
指摘を受けて気分が悪い時もあるでしょうが
しっかりと中身がある場合はもっと良くなってもらうための行動です。
その中身の有無で考えてみてください。
許容範囲も経験によって違いますので線引きは難しいですが、なにも言われないから良いわけではないということです。
転職をしてダメに対してしっかり行動をとってくれる環境に入社をしても
耐性がないと折角の機会を活かせません。
それでもダメが続くと「怒る」という手段に行き着きます。
ダメに対して指摘や怒るに至らない場合や言っても無駄だと思われてしまっていて言う価値がないと思われてしまっていると
もう相手は見切りをつけています。成長に一切関心もありません。
物事には程度がありますので
普通に考えてやってはいけないことを平然としていたら
呆れてダメなままでも苦労するのは本人だとなるのは当然のことで
その場合は一気に信頼を失っています。
そうなると甘えや優しさとかの次元の話ではなくて
もう価値を見出してもらえない=コミュニケーションを取ろうと思わないような状態です。
関わっては痛い目を見ると距離を置くことを周りは優先します。
職場だと全員が育ってきた環境も、経験してきたことも異なって
コミュニケーションがそれらのギャップを調整するための一つの手段になります。
姿勢は人それぞれでそこに相性が生じます。
どんなに明るく元気にコミュニケーションをしても
合う合わないがでてくる理由は
こういった部分にあるのかもしれません。
働きやすい環境を見つける・作るために
まずは自分の姿勢を理解して
今は何が違うのか?
今は何が合ってるのか?
と自分の中の基準を明確にしてみてください。
優しい人が一緒にいたら働きやすいのか?
放置されて何も言われない環境が働きやすいのか?
実際はその人によります。
一つの例ですが、考え方の参考にしてみてください。
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